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チョムリアップ・ソゥ。 なにから書けばいいのか。 このシェムリアップでの一週間は、特に記憶に残りそうな色濃い日々でした。 なので少しこの日記も長くなりそうです。 旅に出てから丸2ヶ月が経ち、今は4カ国目、カンボジアのシェムリアップ。 カンボジアに入り早一週間。焼け付くような暑さにもしだいに慣れ、 コオロギなんかを食べながら、いつになく楽しい生活を送っております。 ホーチミンからプノンペンに入り、そこからシェムリアップに。 プノンペンは、ホーチミン同様に喧騒の街で、辺りはバイク、人、トゥクトゥク、トゥクトゥクトゥクトゥク・・・。嗚呼、五月蝿い。一度街を出れば親父共は「oh,my friend.AJINOMOTO!!!」もし彼らが皆、友達だったなら、きっと俺は数えることのできない友達がいることになる。世界は友達。初めは笑っていられたものの、どうも5日もいると鬱陶しく感じてしまった。 ~重い過去との出会い~ そんな中、プノンペンでは、「キリング・フィールド」「トゥール・スレン」と戦争に関する名所に行ってきた。 「キリング・フィールド」は、ポルポトの時代に罪のない市民たちが、虐殺され、埋められた場所。 その数は、合わせて200万人に昇るということを、後に読んだ本で知った。 ここの中央の塔の中には、掘り出された頭蓋骨が無数に積まれ、周りの土には人々の遺骨を 掘り出した穴が、今にそのまま残っている。辺りには骨や衣服の残骸が残り、とても生々しい。 その名の通り、「キリング」(殺戮)の「フィールド」(場所)。 「トゥール・スレン」は、その殺害された人々が生前、虐待や監禁されていた場所。 以前は学校だった建物を改装し、部屋には虐待の器具や、レンガを積み上げた監禁室が並ぶ。 今はその当時の虐待の様子や、道具、そして殺されていった何千という人々の顔写真が展示されている。その一人一人の写真を眺めていると、罪のない人々の"無念”さみたいなものが伝わってくるようで、長くそこにいると苦しくなってしまう。 この二つの場所は共に、空気が重苦しく、安易にカメラを向けることもできないような場所だった。 きっとあの息苦しさは、カンボジアの暑さのせいだけではなかったと思う。霊的な何かを感じた。 目を背けたくなる場面も多くあったけど、ここには行ってよかったと思った。 今まで上辺だけで、「戦争反対」などと言っていたけど、これを見て素直に「戦争は良くない」と思えた。カンボジア人にすれば、辛い過去の記憶だけど、こうして負の遺産として残すことは大切だなと思った。 こうしたものを見せることによって、このような感情が生まれるなら、いつまでも残して行くべきだと思う。観光したというよりは、重い歴史を学んだという感じだ。 後になり、シェムリアップのゲストハウスにて、このポルポト虐殺時代を生き抜いた女性が書いた 著書を読んだ。彼女が体験してきた30年は重く、まさに生き地獄だったようで、読んでいても、 なかなか現代人の自分には想像することができない世界だった。 これからカンボジアに行く方がいれば、出発前に読んでいくと見え方が違うと思うので、お薦めします。 久郷ポンナレット著 「虹色の空」 http://www.scn-net.ne.jp/~ponnaret/books.html さてその後、特に観光名所を訪れるわけでもなく、5日もだらだらと過ごしたプノンペンを後にし、 アンコール・ワットが待つシェムリアップに向かう。 ここではこの旅にスパイスを与えるであろう、いい出会いが待っていた。 ~チャリダーとの出会い~ バスを降りると、なんぼいるんだって程のトゥクトゥクマンに囲まれて、身動きすらままならなかった。きっとマスコミ記者に囲まれる芸能人は、こんな感じなんだろうなと思った。 なんとか街に辿り着き、有名な日本人宿に荷を降ろす。 この宿は、ここではあまりにも有名で、ベトナムやラオスで出会った何人かの旅人とも再会した。 宿の休憩所で、シェムリアップのフリーペーパーなんかを眺めている。 するとそこへ一人の旅人が、大きな荷物を積んだ自転車に跨り乗り入れてきた。 それを見た瞬間に「うぉー、すごい奴が来た」と思った。 (この旅では未だ日本人チャリダーに会っていなかったため、余計に彼を見た時の衝撃は大きかった。) 彼もこの宿に泊まるらしく、一緒に休憩所に座り色々と話を聞かせてもらった。 彼は、上海から旅を始め、この6ヶ月間に中国、東南アジアを自転車で旅をしてきたらしい。 以前にも、ネパールのカトマンズからインドへと自転車旅をしていたようで、列記としたチャリダー。今後は、ラオス、タイを経てマレー半島を南下し、オーストラリアへ行くという。 旅の計画や今まで体験してきた事を色々と聞いていた。 彼が語る様々なエピソードを聞いているうちに、どうにも胸が高鳴って、久しぶりの高揚感を味わった。その後、彼の口から出た「一緒に来る?」との言葉には、もう今すぐにでも「行く」という感じだった。前回の日記にも書いていたけど、近頃この東南アジアの旅の簡易さに少し刺激を求めていた身には、 願ってもない誘いだった。彼も優しい好青年で、しばらくは彼の背中に、金魚の糞の如く付いて行かせてもらうことになりました。 彼のblog http://blog.livedoor.jp/kyohei21habutsu/ そして、俺と彼の他に、もう一人。シェムリでの宿を1週間、三人で部屋をシェアしていたのだけど、そのもう一人の女の子。彼女も行くということになって明日からこの三人パーティで動くこととなった。 そんなこんなで話は進み、自転車を買い、準備も整い、明日からしばらくの間、 俺はチャリダーとなるわけです。 ルートは、一度タイを通り、それからラオスに入りルアンパパ-ンまで走る約一ヶ月の旅。 そこに着いてからは、着いてから決めることにする。どちらにしても、大きく予定が変わったものの、今は明日から始まる久しぶりの自転車生活に、胸躍っている感じです。 いきなりバックパッカーからチャリダーへと変身するわけだから、少々時間もかかってしまい、 即席で作ったキャリアーなども不安がないことはないけど、とにかく明日の出発が楽しみです。 ~アンコール遺跡群との出会い~ ここシェムリアップは、世界遺産「アンコール遺跡群」を持つ場所で有名で、街の至る所に、 日本語や韓国語の看板や、日本食レストランがあり、トゥクトゥクの親父や、お店のおねえちゃんは、「味の素」だけでなく、「どんだけ~」まで使える始末です。 昔から憧れを持っていた、アンコールへと行ってきた。 見所は数え切れないほどあり、俺も三日間でそのうちの数ヶ所しか廻ることができなかった。 ここでどんなに遺跡の凄さを伝えようとしても、俺の文才ではどうにも伝わらないと思うので、 とにかく「良かった」と言いたい。中でも、お気に入りは「バイヨン」と「タ・プローム」。 「アンコール・ワット」もちろん素晴らしかった。映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」のカメラマン、 一之瀬泰造がこれを写真に納めたかった理由もわかる気がした。 日本からコンタクトをとっていた、この遺跡の修繕に関わっている友人のガイドのもと、色々と詳しく歴史や、構造、修繕に関することなどを教えてもらった。 遺跡を見るのにも、知っているのと知らないでは、天と地の差があって、今回はとても勉強になった。というか、楽しんで見せてもらうことができた。 そして、友人の仕事の話を聞くことによって、この遺跡の修繕活動の大切さを知ったし、 何より彼女のそれに対する情熱がカッコよかった。 三日間アンコールに包まれ、その次の日には、街から80kmほど離れた「ベンメリア宮殿」という 遺跡へと足を伸ばす。ここは、「天空の城ラピュタ」の舞台となったと言われる場所で、(後付けだと思う) カンボジアを旅する旅行者の間では、必ずといっていいほど話題に上がる場所。 ジャングルの中にポツリと、何千年も前から建っていて、ほとんどの石は崩れ、コケが生え、 今に残る姿は、確かにラピュタのようだった。しかし、そのうち、この遺跡は凄すぎて、何が凄いのかわからなくなってしまった。そして、タ・プローム同様に人間の文明をも破壊する自然の大きさに肝銘を覚えた。 こうして長年憧れてきた遺跡を歩くことができたのだけど、ここにはもう一度来てみたいなと思う。 遺跡が良かったということももちろんあるし、この街自体の雰囲気もまた来たいと思わせる理由だ。 シェムリ全体にも言える事だけど、この街は大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいい規模で、 尚且つここに住む人々の笑顔は、とても優しく素敵な人ばかり。 アンコール内の道を歩いていると、下校途中の村の子供や、物売りのおばちゃんが、 笑顔で「ハロー」と声をかけてくれる。 ある遺跡を歩いていると、9歳の小さな女の子が、物陰からハッと現れて、俺を脅かす。 遊んで欲しそうにしていたので、少し話をしたり、かくれんぼみたいなことをしていた。 すると、彼女が「これあげる」とお札で作った花をプレゼントしてくれた。突然だったので、 どうしてくれるの?と聞くと「あなたがハンサムだから」と言ってくれた。 少女に恋してしまいそうな瞬間だった。その後も、「ここがこの遺跡のベストポイントよ」と 遺跡をガイドしてくれたり、出口まで見送ってくれたり。とてもかわいい少女だった。 物乞いの小さな子供が多いため、少しでも最後にお金をせがまれるんじゃないかと思った 自分が、恥ずかしくなってしまった。 他にも、遺跡で休んでいると同じ年頃のカンボジア人の女の子に「結婚して」と言われたり、 本当にここの人々は親切で、優しく、いい人達ばかりだなと思った。 そして、一日に二度も容姿を褒められ、カンボジアではモテるんじゃないかと、少し天狗になったりもした。 こうしたこともあり、この街がとても好きだ。 明日出発を控えてはいるが、是非また来たい土地のひとつとなった。 次回来るときには、大きくなった花をくれた少女に会いたいものだ。 さて、こんな感じで俺は一週間旅をしてきて、明日から新たな形でまた旅に戻ります。 これからは、未開の地、そして海外初チャリということもあり、何が待っているか予想も及びませんが、 とにかく楽しんで行きたいと思います。 きっとネット環境がある地も、まばらになってくると思いますが、きっとどっかで走っているんで ご心配なく。きっとこれから面白いことになると思うので、次回はいつになるかわかりませんが、 その辺を伝えられればと思います。 最近、宿で「親子丼」やら「~定食」やらの日本食が安く食べれるので、日に日に肥えてきています。 この肥えた体を、また自転車で絞り、そしてバスや電車では見ることのできない世界を 存分に味わってきたいと思います。 それでは、また。 時間になったので、今日も宿に帰って「ジャンボチキンカツ定食」を食おうと思います。 ※アンコール・ワットと馬 ※地雷を踏んだらサヨウナラ 06/24 shem reap CAMBOJIA
by shige-wander
| 2009-06-24 19:03
| カンボジア
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